父と豆まき

今日は2月3日。節分である。

 

夕方、仕事から帰ってきた父が豆まきをはじめた。

 

おには~そとお~~~ ふくは~うちい~~

 

家の中に父の間のぬけた声がひびく。

 

豆まきの時の声のトーンってなかなか難しい。

あまり本気なトーンでやると、なにかに切羽詰まった感じでこわくなっちゃうし。

かといって、あまり明るさを意識しすぎてもよくない。

鬼は外で福は内なんだから、それなりに気持ちを込めて言いたい。

 

その点、うちの父の豆まきのトーンは絶妙だと思う。

あまり意識して照れが出てしまうと、家族のものに「ああ、なんか恥ずかしがってんな。」と思われてしまうし、かといって、豆まいてますよ!何も気にせずまいちゃいますよ!みたいなアピールもなかなか恥ずかしい。

 

こういうときは、間のぬけた声でやるのがいちばんよろしい。

 

さすが、家に豆をまき続けてうん十年の父である。

あのまぬけなトーンが豆まきの声の正解である。

 

わたしも豆まくよ。といって父から数粒もらい自室に豆をまいた。

 

おには~そとお~~~ ふくは~うちい~~~

 

少し意識してしまい、声が小さくなってしまったが

それなりに間のぬけたいいトーンが出せたと思う。

 

まいた豆は一応回収するのだが、毎年春ころになってポロっと出てくることがある。

わたしはそれが好きで、見つけてすぐ口に放り込み、ああようやく寒い冬が終わたんだなあと思う。

たぶん愛着障害

ここのところブログを書くのが楽しい。

 

もともと文章を書くのが好きで、何か書いてるときはそのことだけに集中できるからいい。少し、精神的なリハビリも兼ねている。

 

最近、岡田尊司さんの本を読んでいる。

最初に読んだのは、HSP関連の本で『過敏で傷つきやすい人たち』

いまは、『境界性パーソナリティ障害』について読んでいる。

あとは、パラパラ『ADHDの正体』と『発達障害グレーゾーン』を並行しながら読んでて、次は『愛着障害なのに発達障害と診断される人たち』を読もうと思っている。

 

自分が精神的な障害を負っているということと向き合えずにきたけど、いよいよ自分の過去を振り返った時に、ここで一度深く自分自身に潜ってみてもいいのかもしれないと思った。

衝動的に自分を傷つけたり相手を貶めたりしてしまったことのなんと多かったことか。

ただ、物理的に他人や自分を傷つけていなかったため、自分の心のSOSに気づけないでいた。あの時のあの時期の行動は、精神的な自傷行為だったな、と振り返ることがある。

その時は、ただうっぷんを発散しているだけ。自分は正常と自分自身を正当化していた。

 

おととしくらいに、それまで10年くらい続いていた関係が一変した。

わたしが精神的な支えとしていた方と距離をとる期間が長かった。その方は、精神的な支えでもあったけどある意味共依存の関係でもあったと思う。

その方と距離を置くことで、全く違う視点から世の中を見れたことが大きなきっかけだった。

 

今までのことを文章にしていくことが、これからのリハビリになるかもしれないと思うのでちょっとずつ出していけたらいいな。

頭の中でよみがえってしまうあれこれを文章でどう書こうかと考えることは、文章を読む側の視点に立って一歩引いた目で見られる。

それがいいリハビリになればいいな。

わたしの今までの癖で、いますぐすべてをこの瞬間に!みたいにならないように少しずつ進めていきたい。

 

「本当によくなりたい、よくなって、本当の人生を歩みたい、とその人自身が心から思うようになったとき、回復のプロセスは、もう半分まで成し遂げられていると言っても過言ではない。」  『境界性パーソナリティ障害岡田尊司

 

自分には心の傷がある、と認められないと適切な処置も対応もできない。

いままでそれを認められずに、場当たり的な衝動でどうにかしてきた。わたしはいま、この傷を治したいと思っている。ゆっくりでいいからきちんと手当をして、治していきたい。

発達障害グレーゾーン どうすればいいんだろう

いま現在、無職で実家に頼りきりである。

 

先日、図書館のアルバイトの応募用紙出してきた。受かるといいなあ。

 

最近いろんなことかんがえる。考えても意味ないけど、昔のこととかよく思い出す。

いろんな仕事に就いてはすぐに人間関係に疲れてしまって、やめてきた。

そんななか一番続いたのはポスティングの仕事だったな。

人とかかわることがないし、なにより知らない土地を歩いて回ることとか、知らない家の土地を玄関前まで入っていけるというのにワクワクした。

田舎の家は玄関までが遠くて、広い庭を通ったり納屋のようなところを通っていかなくては行けなかったり、古い武家屋敷みたいな家があったりとにかく面白かった。

 

仕事においては、人間関係で消耗してしまうことがたくさんあった。

 

今までは、職場の環境のせいにしてたけどちかごろ気づいたことは、自分に問題があったということだ。

ここ最近、発達障害の本を読むようになってから自分に当てはまりすぎてびっくりした。

さらにビックリしたことは、周りもみんな自分と同じような感覚を持っているんだと思っていたことだ。そんな中でもみんな頑張っているから、自分も何とかしなきゃ!なんとか気合入れて頑張らなきゃ!みたいに空回りしては一人で疲れていた。

一人で消耗していることが多々あった。

みんな当たり前にやっているように見えるけど実は苦しくてつらいのを隠しているだけだと、勝手に思い込んでいたけど

みんな平気で当たり前にやっていることは、本当に平気で当たり前なのだ。

こちらの基準が過敏すぎただけなのだ。

 

発達障害の本を読んでよかったことは、それに気づけたことだ。

そういう自分の特性について知れてまずはよかった。

 

それを知った今、これから自分はどうしていこう、どうしていけばいいのだろう、どうしたいのだろう。という迷路に迷い込んでいる。

とりあえず、図書館のバイトには申し込んでみたのだけれど。

 

どんな仕事をするかを考える前に、自分の特性を、というか”社会における”自分の特性を認識しておきたくて発達障害の診断を受けようか迷っている。

受けるにしてもいったいどの病院に行ったらいいのか。どう説明して自分が発達障害だと思うということを説明すればいいのか。わからないことだらけだ。

 

まずは、発達障害自助グループとかに行けばいいのかな。とか思っているけど

なんかそういう会疲れちゃわないかなとか、二の足踏み続けていてどうしようもない。

父とカキフライ

今季初のカキを父と食べに行ってきた。

この前たまたま会った、昔の知り合いがすすめてくれたカキフライのお店。

カキフライおいしかったなあ。

最近、父親とふたりで外食することが増えた。

増えたって言ってもそんなに頻繁ではないのだけれど。

 

そもそも父親とふたりで出かけることなんてなかったから。

父もわたしも年を重ねているんだなあとしみじみとした。

 

 

2年前のちょうど今ごろ、母親が脳梗塞でたおれた時は、実家で父とふたりだった。

姉はちょうど妊娠しているタイミングだったので実家には帰ってこれなかったけど、たまに弟がお見舞いにきたりしてくれた。

 

家族のかたちってどんどん変わっていくんだなあ。とその時、身に染みた。

 

さいわい母親の入院は長引かず、10日くらいで退院できた。

 

母親の入院中は、朝は父のお弁当を作って掃除や洗濯など家事をひととおり終えたら、母親の面会に行って、帰ってきて夕ご飯の準備して。みたいな日々を繰り返してた。

何かやることやってないと、不安で仕方なかった。母の入院はいつまで続くのだろうとか、これからどうなるのだろうみたいな。

 

でも、あの時期があったからこそ、自分がどれほど今まで面倒を見てきてもらったのかということ、これから親の面倒を見る時が必ず来るということを自覚させられた。

覚悟とまではいかないけど、そういう時がいずれ来るんだなと思い知らされた。

 

今はこうして家族で一緒に出掛けられるのがありがたいことなのだ。

無職になって

もう9か月

 

日々、時間を持て余して何にもしないでいるようで

振り返るとちまちま何かやっている。

 

編み物したり、犬の散歩したり、染物したり、パン焼いたり、お菓子つくったり、本読んだり、読書記録つけてみたり

これは、まだ人に言える範囲の時間の持て余し方

 

実際は、ケータイゲームして時間つぶしたり、YouTubeをだらだら見ながら夜更かしすることもあるし、最近ハマってファンになったSixTONESの動画をひたすら漁ってたり、ただただ日のあたるところでゴロゴロしてたり、家の中にいすぎると家族からの目が気になるので、あてもなく車を走らせてみたり、コンビニでコーヒー買ってモスで爆食して、時々スタバで気取ってたりする

これがリアルな日々の過ごし方

 

今までの自分だったら、こんな自分を許せなかっただろうな

なにか有意義なこと(あくまでも自分の思う”有意義”)をしなくては!と焦って

身の丈に合わないことをしようと必死だったとおもう。

それに、「あたたかいものを飲んで休憩しよう」みたいな考えもなかったし、それにお金を使うことに罪悪感みたいなのを感じてた。

 

いまは、ケータイゲームも自分に許してるし

いままで全く目に入ってなかった新聞の3分パズルとか間違い探しとか、ナンプレとか毎日のルーティンになってる

ナンプレは新聞に載っているのをやりだしてからハマって、自分で問題集まで買って楽しんでる

 

意味のないことと思っていままで避けてきた、というか腹のなかではバカにしてた。。。

こういう時間の過ごし方をすることで、いままでの自分がどんなにか”自分の理想”に縛られてきたのかよくわかった。

 

元来、考えすぎのわたしは思考をとめてはいけない!みたいな強迫観念にちかい考えを持っていた。

だから、ただ食べることを楽しむこととか、だらだらとしたおしゃべりに興じるとか、ゲームで時間をつぶすとかの選択肢を持っていなかったし、その選択をしてしまったらおわる!みたいに極端に考えすぎだった。

そう、考え方が極端すぎたんだ。

 

ケータイゲームで持て余す時間を使ってもいいし、食べたいものをおなか一杯食べて、その時だけでも考えなくていい時間をつくることもできるし、時間を持て余してダラダラしてもいい。

 

ごまかしながら考えないようにするというのが、人生の一場面にあってもいいんだなあと思えるようになった。

時間を持て余して意味のないことで埋めるようなことしても別にいいんだなあ。

しかもそれって生きていくうえで必要な時間だなあと思えるようになった。

ビワの葉

知人に送っていただいたビワの葉を天日干しにした。

きょうは空気も乾燥してるし、陽射したっぷりでからからに乾きそう。

乾いたら、ビワ葉染をする予定。以前、友人がビワ葉染をするからと誘ってくれたことがあって、その時は毛糸を染めた。

落ち着いたピンクベージュっぽい色でとても心が和む。染物って楽しいよね。

 

その後、ひとりでも友達と一緒にも染物にハマっていた時期があり

簡易的な藍染やイチゴ染、草木染を楽しんだ。

その都度、毛糸を染めてニット帽やネックウォーマー、バッグなどを編んだりして、すごく充実してたな。

 

また暖かくなったら、染物しよう。

ビワの葉

知人に送っていただいたビワの葉を天日干しにした。

きょうは空気も乾燥してるし、陽射したっぷりでからからに乾きそう。

乾いたら、ビワ葉染をする予定。以前、友人がビワ葉染をするからと誘ってくれたことがあって、その時は毛糸を染めた。

落ち着いたピンクベージュっぽい色でとても心が和む。染物って楽しいよね。

 

その後、ひとりでも友達と一緒にも染物にハマっていた時期があり

簡易的な藍染やイチゴ染、草木染を楽しんだ。

その都度、毛糸を染めてニット帽やネックウォーマー、バッグなどを編んだりして、すごく充実してたな。

 

また暖かくなったら、染物しよう。